よーく見るとichi-kew-hachi-yonなんですね。kyuじゃないんだ。
今2循目を読んでいます。(カフカやアフターダークの時は読み終わったらすぐ2回目に入ったんですが、今回は時間がかかった)
環が青豆に出した最後の手紙に戦慄。
日々の生活は地獄です。(中略)私は進んでそこに入り、自分で鍵を閉めて、その鍵を遠くに投げ捨ててしまったのです。(中略)私の感じるあらゆる痛みは、私が受けるに相応しいものです。(後略)
村上春樹 『1Q84 BOOK1』 株式会社新潮社 p300
前は漠然と「どん詰まり感」があると書いたのですが、多分『ねじまき~』の2巻までを読んで多くの人が感じたように(私は読んでいる途中で3巻がでたので、特に何も思わなかったのだけど)この続きが書かれなければいけない、ということなんだと思います。1Q84に関しても、続きをと言っている人は実際多いようです。
その内容は多分、天吾が青豆を取り戻す話ではないと思います。それはもうねじまきでやったから。じゃあ何かというと、深田保、ふかえりの父が、なぜどのようにして、あのような存在になってしまったのか、ということではないかと思います。
恥ずかしながら、つい最近になって、春樹さんのエルサレム賞受賞の時のスピーチの全文を読みました。お父様が亡くなられていたことも初めて知りました。僕が父について言えることはこれだけです、と言われ、仰られていたこと、スピーチの中で、壁は私たちを傷付けるものであり、同時に誰か他人を傷付けさせるものだと言明されていること、(爆弾を使う者もまた卵であるのだということ)『アフターダーク』や『カフカ』『東京奇譚集』の中で、他者を損ない失わせる側の物語を書かれていること、等を考えると、そしてbook2を読み終えて物足りないと私や多くの人が思ったことを考えると、そういうことになるのではないでしょうか。
こんなことを言う資格は私にはまったくないと思うし、なら言わないほうがいいんじゃないかなあとも思いますが、一度目に読んで、そして二度目に読んでもやっぱり思ったことは、「冗談じゃない」という怒りにも似た感情です。つばさという女の子が出てきて、彼女の傷と痛みと、それから彼女を保護する人たちの、悲しい過去の話が出てきます。娘と孫を理不尽な暴力で奪われ、酷く傷ついている老婦人、その話はリアリティを持って描かれ、つばさという女の子に対する老婦人の思いもまた、説得力のある心に迫った描写がされています。読んでいる私たちはまるで自分が傷つけられたかのようにその痛みを感じ悲しみを感じ、それでも癒しあい生きていこうとしている二人の幸福を祈らずにはおられません。
なのにそれ、どういうこと?パシーヴァーとレシーヴァー?それは観念の姿であって実体ではない?彼女の痛みは観念的なもので実体は傷ついていない?
そんな話で納得させられるようなことなら、最初っからつばさという女の子なんて、出すべきでなかったと思うのです。彼女の傷も痛みも誰にもあがなわれないまま物語の中に放ったらかし?個々の痛みに、悲しみに、寄り添うことが「卵の側につく」ということでしょう。「それは観念上の痛みだ」なんて解釈、それこそまさに「壁」の側の言い分ではないですか。あなたは卵の痛みを物語を語る上でのただの道具として扱うのですか?
この言い分は全く深田保が一人で言っていることであって、青豆はそれに「私はあなたの言うことを信じない」といっているわけですから、村上さんだってやはり信じていないのではないかと思います。だからこそ次にもし書かれる物語があるのだとすれば、それは個々の代償、恩寵の代わりに差し出されたもの、の個別の痛みについて、ではないかと思うのです。
村上さんのお父さんは、いったい誰に向かって祈っていたのでしょう、彼が息子に打ち明けられなかった、あの世まで持っていってしまった秘密とはいったいなんだったのでしょう、もちろん事実それが何であるのかということに興味があるわけではなく、息子である春樹さんがどう考えているのか、ということですが。(多分それについては多くの読者がこれまで書かれたものを読んで漠然と理解しているところでもあります)
こういう作品の瑕をあげつらって好き勝手に罵倒するようなことって要するにシステム化された一元的な行為だし、要するに壁の側に立った行為だと思うから、普段から割りに好き勝手に発言しているけれど、なるべくやらないでおこうと思っております。
ちょっと長くなりますが個人的にがーんと来たとこ
・そしてなによりも、自分自身を愛することすらできない。なぜ自分自身を愛することができないのか?それは他者を愛することができないからです。人は誰かを愛することによって、そして誰かから愛されることによって、それらの行為を通して自分自身を愛する方法を知るのです。僕の言っていることはわかりますか?誰かを愛することのできないものに、自分を正しく愛することなんかできません。(BOOK2 P178)
何でこんな大事なことがぼろっと頭から抜け落ちるのかよく分からないけど、無意識の防御反応だったのかもしれない。私、この言葉にもう少し早くあっていれば、仕事やめなくて済んだかもしれません。まあ遅かれ早かれ肉体的に仕事を続けることは無理にはなったろうと思うけれど、今回のように苛烈な状況でやめるはめにはならなかったかも。かも知れない。別に誰の責任にするつもりもないけど。