宮本輝 血脈の火 流転の海 第三部
父なるものへの処し方を知らないことが、麻衣子を女として頑迷にさせている。甘え方を知らず、許し方を知らず、怒り方を知らず、くつろぎ方を知らない。(P186)
うう、ぐっさり刺さった、特に最後のくつろぎ方。
熊吾は麻衣子がそうなったのは「父の愛情を知らずに育った」せいだと考えます。
私、お父さんのこと大好きだったなあ。帰ってきたら玄関まで走って迎えに行ってたし、いってらっしゃいのチューもしてた。夜遅く父が帰ってきて、もう寝てる姉と私のところにきて、私たちは二段ベッドで寝ていて、姉が下で私が上で、姉の布団にもぐり込んだ父が、下から二段ベッドの板をばふばふ蹴って、「おうい、おきとるか」とか言って、私は急いで下に降りてって、姉と父の間にもぐり込んで、姉と二人で「お父さん面白い話して!」と言う、父は「アリが10匹、ありがとう」的な超下らない話して、姉と私は笑い転げて「他には?他には?」なんて、3人で狭い布団の中でもみくちゃになってゲラゲラ笑ってた。
思春期になって、父のことを拒絶するようになったのは、自然の摂理として仕方のないことだったのかな、とも思う。でも父のこと、ぐっすり寝ている間にいつか刺し殺してやる、というほど思い詰めたのは、なぜだったんだろう。
父と私の間にあった確執は、割合今解消されてきています。私が3年前実家を出たのは、父と激しい喧嘩をして、「そんなに嫌なんやったら出ていけ!」と怒鳴られたからであったけれど、(あと生まれて初めて足蹴にされた。痛くはなかった。私もお返しに父のどでかい電卓をぶん投げて、電卓は壊れ床がへこんだ。父の暴力に暴力で返したのはそれが初めてで、そのことについては父なりに感じるところがあったようです。それ以後は今のところ、手をあげられたことはない)これは父にももう言ったけど、「家を出るきっかけをもらった、背中を押してもらったようなものだ」と今は思ってます。(これ、思ってるというより、なんか口をついて出た言葉なんだよな)
昔は父が、例えば外食をして、店の人に癇癪起こして(態度が悪いとか)「責任者呼べ!」なんて悶着が起こると、恥ずかしくていたたまれなくて、誰彼構わず怒鳴り散らす父を軽蔑して、憎んで、恐ろしくて、そもそも男の人の大声を聞くと(たとえそれが悪意のないものでも)体が固まってしまうということになったものです。
今は「まあまあ、お店の人も謝ってくれてるし」と取り成したり、私を駅まで送ってくれて、タクシーの運ちゃんと喧嘩したときは、「帰りの車気ぃつけや、カッカしたらアカンで」と、父の心配までするようになった。いつの間にかそんなことができるようになってました。まあ私も28だし、それくらいできて当然なのかも知れませんが、それでも我ながら、よくできるようになったなと思います。一時は「いつか殺してしまう」と本気で思ってたんですがね。
と、すみません、長々と流転とは関係ない話して。
この熊吾さんが、自分の命より慈しんだ息子の伸仁に激しい憎悪を向けられることになるというのは、熊吾の業なのか、伸仁のものなのか、彼らの来し方によるものなのか、必然であったのか、運命であったのか、ともかく、宮本輝という人が『流転の海』をライフワークと思って取り組んできたというのは本当によくわかります。
父を憎み母を憎み、自分の来し方を憎むということは、すなわち自分自身を憎み否定することなんですよね。なんか高校生ぐらいの時によくそういうこと考えてたなあ。(今はちょっと違う見方をしている)
さて、一つだけ気になってこと。
その一角と、窓辺に干された女物の水着とが対を成して、一種退廃的な、すさんだ寂しさを漂わせていた。(P210)
これはやっちゃだめでしょ。いかにそのシチュエーションを作り上げ、「一種退廃的な、すさんだ寂しさを漂わせ」られるか、読者の頭にそれをありありと浮かばせるためにどのように書くか、心を砕く身としては(大変生意気申しておることは承知致しておりますが)こういう書き方をしちゃう輝さんはやはり大衆小説家なのだと言わざるを得ないかと。大衆小説のどこがいけないんだ、というと、どこも悪いことなんかないし、輝さんの場合それは枝葉だと言ってしまえる骨太いストーリーの流れがあるから全然いいんですけどね。(とうとうと流れる泥の河ですよ、まさしく。ほんでところどころ、汚濁の中に蓮の花が咲いてるんでしょ。いいじゃないですか)ただ私は流転を読み終わったら、もう輝さんの本は読まないと思います。
