ガイド中の出来事
電車を降り駅のホームで弁当を食べているときの事でした。ふと見るとSさんが右手の中指をしきりに気にしています。どうやら指のところが少し皮が剥けて、怪我をしているようです。その日ここに来るまでに散々もみ合いになったので、もしかしたら私の爪でひっかいてしまったのかもしれないと思い、ちょっと見せてとお願いしました。しかし彼女は嫌がって、傷がよく見えるようにと引っ張ろうとする私の手を掴んで止めます。何度かチャレンジするのですがやはり見せてはくれません。仕方ないのでじっくり傷を眺めている彼女の横から一緒に見せてもらいました。傷を見ながらSさんは「だめ」「触ったあかん」「取ったらあかん」と一人言を繰り返しています。その言葉はたぶん私に傷を見せたら言われるだろうと彼女が思っていることであり、これまでこんな小さな怪我をするたびに言われてきた言葉に違いありません。取ったらあかんというのはおそらく絆創膏のことでしょう。私は「見るだけ、何もせえへんから見せて」ともう一度お願いし手を伸ばしました。やはり彼女はその手をはっしと掴んで止めます。それからこう言いました「びっくりしたなあもう!」
「びっくりした」という言葉はこれまでも嫌なことがあったときに彼女がしばしば口にするものでした。これは傷を見せるのが相当嫌なのだなと思い私は断念しました。
しばらく弁当の続きを食べていました。彼女はまだ傷を気にしています。しきりにあかん、だめ、と小声で繰り返しながら。私はもう一度、傷の位置や程度を詳しく知るために横から覗き込みました。私がうっかり伸ばした手を彼女が掴みます。向こうに何度か押しやり、それからふと自分の方に引き寄せたのです。私はおやと思い引かれるままに手を伸ばしました。Sさんは私の手を自分の口の端に持っていきました。そこは朝から気付いていましたが、口角炎の痛々しい出来物があるところです。
彼女の手の動かし方は一種独特のものがあります。指をぴんと伸ばしたまま不思議な角度でひらひらさせたり何かに触ったり。私の彼女の口に触れている手は、その不思議な彼女の手に何だかそっくりでした。まるでSさんが自分の手で触っているかのようです。彼女は一人言の口調のまま言いました。「びっくりしたなあもう」
私はそこで気付きました。それは、ここが痛いのという彼女からのメッセージだったのです。さらに彼女は手の傷にも私の手をもっていって触らせ、ささやくように「びっくりした」と何度か言いました。間違いありません、手の傷も唇の端も痛いのです、そのことを私に教えようとしているのです。私は言いました。「そっかあ、痛いねんなあ。こっちは私の爪があたったんかな、ごめんねSさん」
知的に障害が重い人の場合、形のあるもの、特に貨幣価値のあるものを作り出すのが非常に難しいことがあります。近所にある作業所を覗いてみて下さい。テレビでもいいのです。あるいは想像するだけでいいのです。私たちでさえ商品価値のあるものを作るのは難しいのに、障害を持つ人と福祉のことしか知らない支援者が寄ってたかったって、商業ベースに乗せられる物をつくることはどう考えても困難です。形にならないもの、お金にならないものに重きを置くのはまた、考えているよりずっと難しいことです。そうは思いませんか?
この日のガイドは実は散々な結果でした。いつもできていることができない、行けているとこに行けない、まるで一昔前に戻ってしまったような感じでした。前回は大丈夫だったのになぜ?やっぱり私一人では荷が重過ぎるのか。別のヘルパーの時は問題なく行けてたのに...。けれど私はこういう後ろ向きな考えをあまり持ちませんでした、今回は。なぜか?
私は次は必ず行けると信じています。今回はSさんの調子が悪かっただけなのです。朝から調子が悪そうなのも分かっていましたし、昨日のご様子をきいても、この日の全体的な調子をみてもそれは分かることです。前までの私なら、今日Sさん調子悪いねんな、ではなく、私の何がいけなかったんだろう、あれだろうかこれだろうかと、ぐちゃぐちゃ思い悩んでいたことでしょう。でも今回は大丈夫です。
それは私がSさんのことを信頼しているからです。次はきっといけるという確信がもてる関係が私たち二人にあるからなのです。それは簡単にできあがったものではなく、これまでの積み重ねの中で少しずつ育っていったものです。そんな思いの一番根っこは、きっと、冒頭に書いたような小さな小さな二人のやりとりの中にあるのでしょう。
上司の方に言われました。「伝わると思うから伝えようとするんやで。」そう、それはたかだか小さなさかむけが痛いということ、唇のできものが痛いということに過ぎません。けれど彼女は私にそれを伝えようとし、私はそのメッセージを読み取ろうとしていました。本当にそれが痛いという意味だったのかは分かりません。私がそう解釈したことが彼女につたわったのかも分かりません。でもそれはどうでもいいことです。一番大事なことはSさんにも私にも分かっているのですから。
ここ怪我したの、ここ出来物できちゃって、そんなささいな、私たちにはいとも簡単に言葉にできることが、難しい人もいるのです。でも難しいから、だからこそ、分かり合えた時の喜びは何ものにもかえ難く貴重です。そんなささやかだけれど役にたつものたちに囲まれている私は何だか幸せみたいです。
ちなみに、この次のガイド、だめでした。またもできてたことができず行けるはずのとこに行けず、もみ合い引っ張り合い二人とも転び、散々なことになりました。でも楽しかったです。なんかけらけら笑って帰ることができました。行けなかったねー、みたいな。笑。いい年の瀬でしたよ!
