カラ兄弟
第三篇 第二 リザヴェータ・スメルヂャーシチャヤ
一つ、この事件(知的障害の女性がレイプされ子どもができた)は父の持ち村チェルマシニャーで本当に起こったこと、らしいです。(ソースが出てこないのですが見つけ次第書きます)
一つ、前に子どもは無垢だとか、知的障害の人は純粋だという見方が、まだ世間では横行している、と書きましたが、ドストさんのスタンスは(暗にしか書かれてないことですが)子ども、あるいは子どものような大人としての知的障害者を、性的な対象として見る、というものです。これは倫理の面から考えても、(文学に倫理を持ち込むのは私は違うと思うけど、その話は置いといて)簡単に良しとしてしまうわけにはいきませんが、少なくとも、事実から目を背けて、あるいはそれを疑ってみることもせず、単に子ども=純粋と信じきってしまっている人の考えより、私は承知しやすいと思っています。
第三 熱烈なる心の懺悔――詩
フョードルの隣の家に住んでいる母娘の娘のほうは、かつては高い身分の人のところで働いていて、今は貧乏になって、食べ物の無心をすることさえあるが、服だけは売らなかった、そのうちの一着には長い尻尾がついている、とのことですが、アリョーシャはこのうちの隣を抜けようとしているとき、その尻尾のことを思い出してふと顔を上げ、結果兄のミーチャに会うことになります。この、尻尾のことを思い出して、というのが今回妙に気になりました。なぜに尻尾? (多分性的な意味よな) (いや違う、尻尾→悪魔だ)
美の中では両方の岸が一つに出合って、すべての矛盾が一しょに住んでいるのだ。
