2008-04-17

カラ兄弟

 第四 叛逆
 ここでイワンは報われない子供の苦しみについて語るわけですが、ふと今回思ったのは、この子供というのはドストさん自身、特に「父の罪を贖わされる子」としての自分を書いたものなのかなあと。
 父が領地の人たちに殺されたという知らせを受けてから、ドストさんの一生の病、てんかん発作が始まったと言われています。当時フロイトくんに、典型的なエディプス・コンプレックスの発症例、みたいに言われたみたいですが、まあ確かに、父殺しの願望がかなった瞬間でもあり、それに対する強烈な自罰意識がてんかんをひき起こすと考えていいのでしょう。
 同時に、なぜ父は殺されなければならなかったのか、父自身に要因があったのだ、という思いももちろんあったろうし、父の死の知らせを受けて以来、自分が味わうことになる苦しみを、父の罪と重ねて見ることもあったろうなと思うんです。僕がこんなに苦しいのは、父の罪の代価を支払っているからなんだ、ドストさんはそんな風に思っていたのはないでしょうか。

で、もし子供までが同じように地上で恐ろしい苦しみを受けるとすれば、それはもちろん自分の父親の身代わりだ、智慧の実を食べた父親の代わりに罰しられるのだ――が、これはあの世の人の考え方であって、この地上に住む人間の心には不可解だ。(P58)

人間同志の間における罪悪の連帯関係は、僕も認める。しかし、子供との間に連帯関係があるとは思えない。もし子供も父のあらゆる悪行に対して、父と連帯の関係があるというのが真実ならば、この真理はあの世に属するもので、僕なんかにはわからない(P71)ともにイワンのせりふより

 そしてまた思ったのでしょうね、冗談じゃねえ、何で俺が父の代わりに苦しまなければならないんだって。その不条理は何なんだって。

2008-04-14

カラ兄弟

 気がついたらもう「プロエコントラ」の章に突入してました。

 ちょっと戻って 第六 小屋における『破裂』

 たまたまこのあいだ(といっても大分前)『アンジェラの灰』という映画を見ました。アイルランドにおける極貧生活をみっちりと描き出した映画で、話自体は私はあまり感心しなかったんですが、資料としては面白かったです。カラ兄弟とは時代が全然違いますがね。雰囲気的には似たとこがあるのではないでしょうか。
 映画のほうの話ですが、お金がなくて食べ物が買えないというのももちろん悲惨ですが、石炭が買えないというのも悲惨なんですね。アイルランドの気候は冬がじめじめしているので、火を焚いて空気を暖めかつ乾燥させないと、伝染病にかかる、そうすると子どもとか弱い存在は生き抜けない、という。その現実。

 さて、ここではロシアにおけるおそらく底辺クラスの暮らしぶりが書かれます。(ソフィヤ・マルメラードワの家には負けるでしょうが)村上春樹が「かえるくん、東京を救う」で、フョードル・ドストエフスキーは神に見捨てられた人々をこのうえなく優しく描き出しました。とかいていますが。まさしく神に見捨てられた人々。
 もう少しあとに、イワンの大審問官の序言の中に彼らの中でも、永劫浮きみ出ることが出来ないほどこの池(地獄の火の池)の底ふかく沈んでしまったものは、『神様にも忘れられる』こととなるのだが、実に深刻な力強い表現じゃないか。というふうに言われています。

 第五篇 Pro et Contra
 第一 誓い
 ねえ、アレクセイさん、あたし達の考えの中に、(略)あの不仕合せな人を見下げたようなところはないかしら……だって、あの人の心をまるで高い所から見おろすような工合にして、いろいろ解剖したじゃなくって?

 わかっているのは、僕もカラマーゾフだ、ということばかりです
 ところが、僕は神を信じてないかもしれないんですよ。

 突然イワンが嫌いだというリーザ。もう少し前では(カチェリーナが)イワンを愛してるというアリョーシャの言葉に「誰のこと、それは誰のことなの?」と過剰に反応してるし。

 第三 兄弟の接近
 「つまり、兄さんもやはりほかの二十四くらいの青年と同じような青年だ、ということなんです。(後略)」


 抜粋ばかりですみません。メモということで。

2008-04-02

カラ兄弟

 第四篇 破裂 第五 客間における『破裂』

 それから今一つの想念も、また突然おさえることのできない力をもって、彼の心へ闖入して来た。ほかでもない、『もしこの人が誰も愛していなかったら、どっちも愛していなかったらどうだろう?』というのであった。

 カチェリーナに対してアリョーシャの思うこと。これって最終的には予言的中なんだあ。

2008-04-01

カラ兄弟

 第八 コニヤクを傾けつつ

 このあたりから話が急展開して、たった4節の間にすんごいいろんなことが起こりますね。頑張って付いて行きます。

 スメルヂャコフにとって、グリゴーリー=フョードルなんですかね。さらに=神で、彼等の否定=神の否定であると。

 アリョーシャが母の憑かれた女(クリクーシカ)の話を聞いているうちに、母と同じ行動をとってヒステリーを起こすエピソードですが、私はこれの意味がよく分からないです。このあとすぐにミーチャが乱入してくるので、なんとなく中途半端に話が終わってしまうし、イワンは「しかし僕のお母さんは、つまりアリョーシャのお母さんだと思うんですが、あなたはどうお考えですか?」とか言い出すし。
 イワンとアリョーシャの母→ソフィヤ・イワーノヴナ(イワンの娘)(罪と罰の彼女はソフィヤ・セミョーノヴナ)
 ドミートリーの母→アデライーダ
 スメルヂャコフの母→リザヴェータ
 グリゴーリーはアデライーダを嫌っていたが、ソフィヤのことは主人と喧嘩してまでかばっていた。

 ついでに、作者の名前はフョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエーフスキー。妻はアンナ・グリゴーリエヴナ(グリゴーリーの娘)

 では次にいきましょう。