私たちの年代
私たちの年代、というとき、そこには薄暗いものしか存在しない。
私たちはバブル経済の真っ只中に生まれ、自意識を持った一人の人間として生き始めた頃に、その崩壊を目の当たりにした。14歳の犯罪が世間を騒がせた頃私たちは14歳であり、キレる17歳が話題になる頃17歳であった。私が18の時少年犯罪史上まれに見る凶悪犯罪「栃木リンチ殺人事件」は起こり、そこでは19歳の少年があらがえない暴力の中死んでいった。女子高生の援助交際が問題となったとき私たちは女子高生であった。私が14の時阪神淡路大震災があり、少しして地下鉄サリン事件が起きた。私が21の時父は会社をリストラされた。私が20代前半の時二十歳前後の女性の処方薬や市販薬の乱用が新聞で報道された。リストカットする少女たちがテレビでも取り上げられるようになった。
私が思うに、私たちの年代は宗教に走る道を閉ざされた世代なのだと思う。母にあんたはオウムみたいなところに行きそうだから心配だと言われたことがある。ある意味、オウム真理教はその年代のある種の人々の行き着く先であった。しかし私たちは宗教が時に社会悪になるのだということを実にセンセーショナルな形で知らされた。宗教に走る道を閉ざされた私たちが行き着いたのが心療内科通いであり、"うつ"と呼ばれるものの凡化であり、集団自殺がこれほど流行った経緯であると思う。私が高校生の時親しかったほとんどの友人がなんらかの形で心を病んでいたのも今なら頷ける。私たちの世代とはそういうものなのだ。
いったいどこに希望を見い出せばいいのか私には全く分からない。自分自身就職難の時代に就職し、働いていくことの困難さは嫌というほど味わった。運よく就職できたとしても、長年働き続けた職場からあっさり首にされた父を目の当たりにした。私の近しい人には今のところいないが、知り合いの兄がフリーターだとか、友だちの弟がニートしてる、なんて話には事欠かない。
いわば私たちは生きる希望も逃げる道もないままに社会に放り出された迷い子だ。バブルの時は指をくわえて見ているしかなかったし(思えば少し豪華な家族旅行といった形でその恩恵に預かることはあったが)大人になればいろんないい思いができるのだと期待する間もなく、不況に見舞われ、年に一度の家族旅行もなくなり、大学に進学できるのかさえ危ぶまれた。私が大学に行けたのも単にたまたま私のやりたいことと授業料の面で折り合いがついたからである。姉は優秀だったので公立の高校に通い、国立の大学に受かったが、私のようにやりたいことのために苦手分野でもある程度の頑張りを見せるという能力にからきしであるような場合、選べる道はそうたくさんはなかった。
何も嘆いているわけではない。ないと思う。時代のせいにするつもりもない。
しかし考えてみて欲しいのだ。私たちがくぐり抜けてきた道は容易いものではなかったし、これから行こうとしている道もまた、灯りもなしに進むいりくんだ見知らぬ路地のように、暗く閉ざされている。
もう一度言おう。私たちは何を希望に生きていけばいいのだろう。困難な人生を生きるのに希望なんてものは何の役にもたたないのだとしてもだ。
