2007-12-12

ドストエフスキー カラ兄弟

 読んでいます。リアルタイムでお届けしましょう。
 今回は米川訳です。

 翻訳の賞味期限という言葉があるようですが、米川訳を読んでいるとそれについて考え込んでしまいます。米川訳『カラマーゾフの兄弟』岩波文庫版が出版されたのは1927年。確かに最初読んだとき思いました「華燭の典」ってなんだ?って。前後の文脈から結婚式のことであるらしいとは分かりましたが、それにしてもそんな言い方しなくてもいいじゃないって思いました。訳に独特の癖もありますし(二重否定とか。しかしあれはドストさんの文体の癖だったりするのでしょうか)何もわざわざ米川訳で読まなくてもいいじゃないか、と思わないでもない。二重否定、笑。でもあえて今回米川訳なのは、やはり時代を越えて機能する米川イズムにひかれるところがあるからと思います。
 うーん、本当にそうかな。なんかでもね、原さんはまだいいとして、亀山訳には心ひかれないんですよ。結局「エピローグ別巻」のみ買ったけれど、本文はあまり読んでいません。
 さらっと読めちゃうドストエフスキーに意味あるのか?文字が大きくて改行が多くて「クレープを食べてくださいね」というアリョーシャに?イリューシャのお墓にやってくるのがスズメだということに?もって回らない登場人物のしゃべりに?
 やっぱり最後のアリョーシャの別辞は(本のページが)黒々としてないと感じでないと思うんですよ。スズメはやっぱり雀であって欲しい。(すずめは可、ギリで可)"そうではないとは限らないばかりでなく可能である、もはやまったく可能であるといってしまっても一向に言い過ぎではないと私は考えている"みたいな持って回った言い回しがないと、なんか物足りない。
 それともこれは文学的スノビズムに過ぎないんでしょうか?原さんはホットケーキと訳してるしなあ。

 ともかく米川訳です。今更ながらアリョーシャ格好いいなあと思う。レフ(白痴の主人公のレフ)のイメージが強いのでアレクセイにもついふにゃふにゃした男の子のイメージを抱きがちなんですが、「『不死のために生きたい。中途半端な妥協は採りたくない。』」とか言うアリョーシャ、かっこいい。

 しかしいまだに私は一番最初に掲げられている、聖書の引用の、本当の意味が分からないでいます。

誠に実に爾曹に告げん、一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし。