阪本順治 闇の子供たち(映画)
ふだんはこちらで映画の話はしないことにしているんですが、内容が内容なだけに今回はこちらで。ここ数ヶ月の記事の意味も明らかにしちゃいましょう。 ちょっと気分を変えるために大阪弁で書きます。(私人の口調移りやすいんで、他県の言葉も混じると思う。俺語だと思って聞き流して下さい) まず明らかにしとかなあかんのは、どの立場で書くかいうことやと思うんです。最初にこの映画見に行こう思たんは、どんなに悲惨な現実であろうと、目をそらさんでちゃんと見なアカンと思たからです。ここ数ヶ月、なんでか知らんけど、悲惨で残酷で悲しい現実を、訥々と観覧するのが日課やったんです。栃木リンチ殺人事件に 始まり、主に国内の殺人事件のサイトを読んだりしてました。死体の写真もいくつか見ました。ほんで打ちのめされた気分になってました。あんまそういう話って誰彼に聞かせるもんやとは思わんし、一人そういう悲惨な現実に向き合ってると、心はぶずぶずに荒んでいくもんですな。ちらっとそんな話を人にした時、言われたんが「 (私が見ているものって)優しさとか思いやりとかとはずいぶんかけ離れたものみたいやね」「そういうものって人によって引っ掛かり方(心に残る残り方)が違うと思うねんけど、もしかしたらその引っ掛かり方が、あなたが生きていく上で、辛いことの一つなんかもね」
ネタバレ、暴力的な内容にも触れます。読むのは自己責任でお願いします。以下反転。
そういうもの(優しさとか思いやりからかけ離れた世界)から目をそらしてもいいんちゃうか?という一つの提言やってんけど、あたしはこれを聞いた時に「あたしはどんなに辛くても目をそらしたらあかん」と決意をあらたにしてんな。誰が忘れようと世間が忘れようと、あたしだけは覚えてる、忘れへんで。それが唯一私にできる事やと思ってん。
栃木リンチ殺人事件てなんでか知らんけど、昔から私の心にものすごいショックと、でも目を背けてはいけないんやという義務感を与える事件やった。起こった当初からそう思ってたし、ちょうど事件から5年たった時、被害者の方のお父さんがTVでインタビューを受けているのも、意図したわけではないけど、見ました。それを見たとき、ちっと忘れとってんな、ああ、この事件があたしのところに帰ってきた、そう思った。被害者の方と、そして加害側の人たちと、年齢がそうかわらんというのも一つある。(みんな私の1個上)自分と同じような年の人がこれほどの苦痛の中で殺されていったこと、これほどの暴力を私と同じ年の男の子たちが一人の人間に向けたこと。私は時々、シャワーを最高温度にして、自分にかけてみたいと思うねん。ポットのお湯を汲む度に、どれほど痛かったか、怖かったか、絶望したか、思いを巡らさずにはおれへん。
この映画を見る前に、とある動画を見ました。最初はそれに関する文章を読んで、なんか悲惨な事件やってんなと思うだけやってんけど、一つ、被害者が子どもたちやというのが、すごい引っ掛かってんな。見た人は口々に「かなりのショッキング度」「グロい」「悲惨過ぎる」と言うてたけど、なんでそんなことが起こったんか、事実誰と誰の争いのために子どもたちは殺されたのか、意外と情報は少なかった。しかも問題の動画はyoutubeから削除されてて、見ることができひんかった。そいで色々調べて、私はこの動画だけは見とかなあかんものやと強く思うようになった。ほんで結局見れてんけどな。googleで検索してはいけないワード、インドネシアのポソで起きた宗教対立、そのはての虐殺事件。ちなみにgoogleではもう見れへんくて、yahooで検索かけて、出てきたページで見れました。
その時出た言葉が真心なんて通用世界もあるな、でした。
