村上春樹 1Q84 -3
まだまだ考えております。(本はお姉ちゃんに貸してしまったので手元にないです)
つばさちゃんについて色々書きましたが、書いた後に思ったのは、今更村上作品における女性の扱いの酷さについて云々言ったって意味ないよなあという苦笑でした。『ノルウェイの森』を読んだ友人が、「女を何だと思っているんだ、自己表現のためのキャラクターでしかないじゃないか、直子に共感するなんて馬鹿みたいな感想だ、あれは村上本人の姿であって一つのキャラクターにすらなっていない」というようなことをいいました。それに対して私は、「そんな風に考えるんならあなたには村上は合わないということなんじゃないかな」と答えました。私は春樹さんが好きだから、春樹さんがナルシスティックに書いている小説が好きだから、そのナルシストぶりが気になるんだったらもうそれは村上小説は読めないということだよね、と素直に思います。(別に全人類が春樹作品に共感する必要はないし、それでいいと思う)
というわけで益体もない事書いたなあと。笑い。
私が天吾の言葉にがーんときたのは、私はずっと逆だと思っていたし、そういわれていろんなものをあきらめたからです。「あなたは自分を愛していない、自分を愛せない人間に他人を愛することはできない」こうだと思っていました。人からもこういわれました。
だから逆の、「他人を愛せないから自分を愛することができないんだ」と言われたことは本当にショックでした。そうだったんだ、逆だったんだ、逆の発想があったんだ。
このことについてある人とお話したのですが、「自分を愛せない人間は他人を愛することはできない」という言い方はよく聞くものだし、筋が通っていて説得力がある、でも、その人は、きれいに筋の通った強固な物言いというのは信じてはいけないというような気が最近している、と言われました。僕は確かに自分を愛してはいないけれど、自分の子どもにきちんとした愛情を持って接している人を実際に見て知っている、自分が見て知っていることと、一見きれいで確かな説得力のある言葉だったら、自分で見て知っていることを信じていいのじゃないか、そう言われました。
